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琳派【下】 養源院

宗達の襖絵や杉戸絵が並ぶ

俵屋宗達「松図」(部分)重文 江戸時代(1621年ごろ)
俵屋宗達「松図」(部分)重文 江戸時代(1621年ごろ)
俵屋宗達「松図」(部分)重文 江戸時代(1621年ごろ) 俵屋宗達「白象図」 重文 江戸時代(1621年ごろ)

 京都・三十三間堂に隣接する養源院。琳派や狩野派の襖(ふすま)絵を拝見できる、数少ないお寺のひとつです。

 本堂「室中(しっちゅう)の間」にある12面の襖絵「松図」は、1621年ごろ、俵屋宗達(たわらやそうたつ)によって描かれました。常緑の松と岩だけが金箔(きんぱく)地に力強く描かれ、季節感を超越した祝祭性を感じさせます。

 実は、初めに襖絵などの制作を依頼されたのは、狩野派の絵師たちでした。でも、当時の狩野派は、徳川家の御用絵師として、城や大寺院の襖絵制作に忙しい毎日を送っていました。なかなか進まない制作に業を煮やした養源院が代わりに選んだのが、料紙装飾や扇絵の制作で身を立てていた宗達だったのです。

 琳派の祖の一人とされる宗達ですが、その生涯はよく分かっていません。書家の本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)らと交流しながら好きな画業を続けるうちに、才能を見いだされ養源院の大仕事に抜擢(ばってき)されたのでしょう。

 廊下にある「白象図」は、大胆な構図で杉戸いっぱいに象を描いた作品。単純な線なのに重量感が伝わり、お尻の丸みや表情に、おおらかさやユーモアも漂う。時代を超えて親しみを誘います。

 養源院での仕事が脚光を浴び、後に宗達は「法橋(ほっきょう)」という位を授かります。そして、宮廷の屛風(びょうぶ)絵などを多く手がける本格的な絵師になっていくのです。

(聞き手・中村茉莉花)


 どんなコレクション?

 常時公開の「松図」「白象図」のほか、同じく宗達の杉戸絵「唐獅子図」「犀(さい)図(波と麒麟〈きりん〉図)」、狩野山楽(さんらく)の「唐獅子図」「牡丹(ぼたん)図」など、桃山時代から江戸初期にかけて活躍した画家の作品を多く所蔵する。

 養源院は、1594年、戦国武将であった浅井長政を弔うため、長政の長女・淀君が建立。一度は落雷で焼失したものの、長政の三女で徳川秀忠夫人であったお江(ごう、後の崇源院)が1621年に再建した。明治中期、一般の参拝が許されるようになった。

《養源院》 京都市東山区三十三間堂廻り町656(TEL075・561・3887)。午前9時~午後4時。拝観料500円。

川島公之さん

実践女子大教授 仲町啓子さん

なかまち・けいこ 東京大学大学院修士課程修了。専門は琳派や浮世絵など江戸時代の美術。実践女子大学香雪記念資料館長。秋田県立近代美術館長。著書に「琳派に夢見る」「もっと知りたい尾形光琳」「すぐわかる琳派の美術」など。

(2017年6月27日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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