2回の結婚と離婚を経験した、吉本新喜劇を代表する俳優の島田珠代さん(撮影:篠塚ようこ)
「恋愛したら魔物が取りつく」と思っていた
――17歳で芸人になったころ、"モテ"や"可愛い"とは距離を置いて芸事に集中してきたとのことですが、いつごろから恋愛や結婚に関心を持つようになりましたか?
20代前半までは、「恋愛したら魔物が取りつく」という考えでした。当時のお笑い界の風潮は、女っぽさを出さないほうが好まれていたので、恋愛をしたら仕事がうまくいかなくなるのではと信じていました。周りは男性芸人が圧倒的に多く、舞台が終わった後はみんなでワイワイとコミュニケーションを取っている中で、私は自分の出番が終わったらさっさと帰っていました。
今でも覚えているんですけど、東野幸治さんが「頑張れよ!」って、本当に軽く肩に手を置いてくれたのを、バーンって振り払ったら東野さんの手が机の角にドンって当たってしまい、「痛ったー!!」って叫ばれました(苦笑)。大先輩にもそんな対応を取ってしまうほど、「男子と触れ合うのはイヤ!」という感じでした。
でも、いざ恋愛をしてみたら、仕事上での演技力も高まり、私生活も充実することがわかり、恋愛は欠かせない存在へと180度変わっていきました。
――その心情の変化は何歳くらいのときでしたか?
25、26歳のときです。忘れもしないのですが、最初のデートは先輩芸人のあき恵姉さん(浅香あき恵さん)に来てもらったんです。私、ピラフを注文したんですけど、緊張しすぎで震えてしまい、お皿から口までスプーンで運ぶ間にすくったピラフを全部落としてしまうという(笑)。それくらいの緊張でした。
そんな時期を経て、「結婚」というものを意識し始めました。母からは、「結婚する相手としか深い関係を持ってはダメよ」と強く言われて育ちました。その気持ちで真剣にお付き合いをしていた方が、私の思いを汲んで「結婚しよう」と言ってくれたんです。吉本興業の社員だったその人が、一人目の夫となりました。
2回の離婚原因は「やきもち」
――結果的に、その結婚生活は8年で終止符が打たれました。振り返って、何が原因だったと思いますか?
結婚後、私は大阪、夫は東京が拠点となり、物理的に一緒に過ごす時間が限られる生活を送っていました。さらに、夫は夜の時間帯の仕事を担当することになり、すれ違いの日々は増えていきました。
私は「やきもちやき」なんです。いつでも私のことを最優先で考えてほしい、私だけを見てほしいというやきもちが1回目、そして2回目の離婚の原因になりました。一人目の夫は、私が夫を責めても「僕が一緒の時間を作れないのが悪いから」と頭を下げる優しい人でした。その優しさに甘えてしまっていました。元夫のジャケットからキャバクラの名刺が出てきたときは「私とは一緒に過ごしてくれないのに、他の女と楽しく過ごしてんのか!」と大騒ぎをしたことも。徐々にお互いの信頼関係が崩れていき、離婚に至ったんです。
結婚と離婚を振り返ってみて、もう少し気楽に、良い意味で「この人だけが全てではない」と思うことが必要だったのかなと思います。私は彼氏ができたら、他の男性と食事や飲みに行くことは一切しないタイプだったんです。でも、結婚に関してはもう少し視野を広げて相手を見たほうがいいなって、2回失敗した今になって思いました。男性と言ってもさまざまなタイプがいることを知っておいたほうが良かったと感じています。
2回離婚しても、結婚ってやっぱり良いもんです。でも、結婚するにあたって、さまざまな人と交流を持ったほうが良いと断言できます。これから結婚を考えていらっしゃる方には、「男性は『その人だけ』ではないよ」ということを伝えたいですね。
――その後、36歳でテレビの美術スタッフの男性と再婚され、38歳で第一子が誕生しました。そして、娘さんが生後8カ月のときにパートナーのがんが発覚し、余命5年と言われたそうですね。
はい、それまではケンカしたことがないほど仲が良かったのですが、がんの治療が始まってからは、徐々に関係性が悪くなっていきました。抗がん剤が合わずに苦しみ、治療のストレスでイライラすることが増えていく夫に対して、私はスキンシップが減っていくことに対する不安からまた私だけを見てくれないという「やきもち」をやくようになって、それが積み重なっていきました。抗がん剤の治療がどれだけ大変か、私が理解していなかったのも一因でした。
がんが発覚した当初は皆で大阪に住んでいたのですが、夫は療養のため地元の名古屋に帰ることになりました。そのとき、「余命5年の俺にとって娘は生きる糧だから、娘がいないと無理」と言われました。「私だって離れたくないよ」と戸惑いつつも、夫の希望を受け入れたんです。
仕事は忙しかったですが、合間を縫って大阪から通う生活になり、月2回ほどのペースで会っていました。ただ、夫婦間の溝は埋まらず、家事などを手伝いに大阪から来ていた私の母と夫との関係性も悪化していきました。私自身の気持ちもつらくなり、夫との離婚を提案したところ、「娘とは絶対に離れたくない」と言われたんです。さらに夫から「どうしても娘を連れていくと言うなら、裁判したっていい」とまで言われたとき、私は裁判をする気にはなれませんでした。小さな娘を抱えて、一般人の夫との間の親権争いを週刊誌などのメディアに書き立てられることは避けたかったんです。仕方のない決断でした。
離婚時に取り決めた二つの約束
――当時3歳だった娘さんの親権については、余命宣告を受けていた父親側に譲り、協議離婚をされたそうですね。
はい。仕事で深夜まで帰れず、週末も営業で地方に行かなければいけないことも多い生活だったので、離れるのはつらかったですが娘の成長のためにもなると考えました。ただ、離婚の際は弁護士に間に入ってもらい、「私が娘に会いたいときに自由に会えること」「娘が中学生になったら、本人がどちらの親と暮らすかを選べるようにすること」の二つの約束事を書面に残しました。
そして実はもう一つ、親権に関しては元夫にこう言われたんです。「この時期に東京にチャレンジしてもいいんやで」、「お前が好きなように仕事ができるように子育ては自分がしたいという思いもあって、娘を連れていくんやで」って。この言葉は、今も耳に残っています。
私は大阪出身で、関西を拠点に活動している中で、東京に行きたいという思いをずっと抱いていました。でも、「できるかな」「そんなん無理や」と思う気持ちもありました。そして、娘が小学校5、6年生のころ、バラエティ番組の「相席食堂」に出たことで注目してもらい、東京に行けるようになったんです。
その多忙な時期に元夫が子育てをしてくれていたことを、本当にありがたいと思っています。それからコロナ禍に持ちギャグの「パンティーテックス」が 話題になりました。今では頻繁に東京にも行かせてもらえるようになって。本当に元夫が考えていてくれた通りになったんです。そんな元夫は、娘が小学6年生だった12月に息を引き取りました。
――離婚後、周りからはどういった反応がありましたか?
思い返すと、バツイチのときは周りがすごく気を遣っていました。私が「やってしまった……」みたいな感じだったので、腫れ物に触るみたいな感じだったんです。でも、2回目の離婚のときは、 「バツ2」っていう響きが良かったのか、むしろ「また、しやったな」と突っ込んでくれるような雰囲気に変わりました。
先輩からもどんどん突っ込まれるにつれて、「これでもふさぎ込んでいたら、シャレにならんな」と思って。そこから私も、返すようにしたんです。それまで、「滑り芸」ってあんまり得意じゃなかったんです。例えば、「(笑顔でピースサインを作って首を傾げて)バツ2」とか「2度、失敗」とか「もう人生どうでもええんです!」とか。でも、芸にすることで、開き直ることができて。離婚したこと自体が私自身を成長させてくれたと感じています。
離婚の決断後、全て良いように進んでいる
――離婚は繊細なテーマなので話しづらいかと思いますが、プライベートの相談も周りにしていましたか?
はい。周りからは「離婚はやめておいたほうがいい」と散々止められましたが、最後は自分で答えを出さないといけないと感じていました。もっと人の言うことを聞いとけば良かったのかな、と思うことはあります。でも、2回の離婚の決断をした後、自分の中では全て良いように物事が進んでいるので、離婚して良かったと思っています。
――今の時代は3組に1組が離婚すると言われています。離婚の有無にかかわらず、自分の決断に一歩を踏み出せない人へメッセージをお願いします。
お子さんがいらっしゃらない方は、今の時代は離婚なんて珍しくないのだから、無理に一緒にいてしんどい思いをすることはないと思います。もし、「この人と同じ空気を吸えない」という時点まで来ている方は、踏み出したほうがいいです。
そのときには、やはり経済力が大事です。どんな仕事でもやれる仕事でできるだけたくさん働いて、一緒にいるのも嫌な相手であれば1分1秒でも早く離れて、生計を立てていってほしいなって思います。ママ友の中には、夫と別れたいけど経済的な部分で自立が難しいから我慢している人が少なからずいました。お子さんがいらっしゃる方で、子連れで離婚したい場合は、経済的な目途が立つまでは我慢したほうがいいかもしれません。
離婚を心に決め次第、がむしゃらに努力して下準備をして、自分自身のゴーサインを出すことができたら、すぐに動いてみてくださいね。
(記事は2025年3月1日時点の情報に基づいています)
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