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ひとえきがたり

高松駅(香川県、JR予讃線、高徳線)

連絡船の記憶 風化させない

夕暮れの高松港に停まる宇野行きのフェリーの向こうに、かまぼこ屋根の高松駅舎が見える=高松市玉藻町
夕暮れの高松港に停まる宇野行きのフェリーの向こうに、かまぼこ屋根の高松駅舎が見える=高松市玉藻町
夕暮れの高松港に停まる宇野行きのフェリーの向こうに、かまぼこ屋根の高松駅舎が見える=高松市玉藻町 地図

 本四架橋のないころ、高松駅は四国の玄関口だった。旧国鉄とJRの宇高連絡船が1910年から78年間、高松駅と岡山県の宇野駅を結び、列車と船を乗り継ぎ、多くの人と物が運ばれた。船が着くたび、乗り換え通路に人があふれ出し、船着き場までひかれたレールで貨物列車が連絡船内へ吸い込まれていった。

 5月11日は宇高連絡船にとって特別な日だ。60年前のこの日朝、高松を出航した連絡船「紫雲丸」が濃霧の中、貨物船と衝突し、沈没。修学旅行中だった小中学生を多数含む168人が亡くなった。高松市郊外の高台にある西方寺には慰霊碑が立ち、今年も法要が営まれた。

 100人を超える参列者の中には、親戚に会うために紫雲丸に乗船し、一命を取り留めた元会社経営者の赤川庄市さん(90)や、76年から連絡船の船長を務めた萩原幹生さん(76)の姿もあった。ともに高松に暮らす。萩原さんは退職後、事故当時の様子を知りたいと遺族のもとを訪ね歩き、今も交流を続けている。

 88年に瀬戸大橋が開通すると、宇高連絡船は廃止された。2001年には、港から300メートル離れた場所にガラス張りのモダンな駅舎ができ、駅前から海は見えなくなった。港付近は再開発され、ホテルや飲食店の入った高層ビルが並ぶ。

 駅に戻り改札を抜けると「連絡船うどん」の店舗から、だしの香りが漂ってきた。連絡船のデッキで売られた名物の讃岐うどんを再現したという。店の前には船の舵輪(だりん)のモニュメント。駅前には錨(いかり)も展示されている。しかし、目を留める乗降客はほとんどいない。「駅も港も様変わりしました。でも、事故も連絡船のことも風化させてはいけませんね」と萩原さんがつぶやいた。

文 永井美帆撮影 楠本涼 

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 JR高松駅(高松市)には、同駅と宇和島駅(愛媛県宇和島市)の327キロ(内子線区間を除く)を結ぶ予讃線と、徳島駅(徳島市)の74.5キロを結ぶ高徳線が乗り入れている。

 駅から高松港へは徒歩約5分。「鬼ケ島」の別名で知られる女木(めぎ)島や男木(おぎ)島、小豆島、直島などに向かうフェリー・高速船が毎日運航している。問い合わせは、各運航会社へ。

 香川県宇多津町の古街(こまち)地区には宇多津駅から徒歩15分。昭和初期の古民家を改装した宿泊施設や、明治期建造とされる蔵のカフェがある。問い合わせは町観光協会(0877・49・8009)。

 

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レールのモニュメント

 駅近くの高松港旅客ターミナルビル3階には宇高連絡船記念展示場がある。ビルの入り口には貨物列車が船に出入りするためのレールのモニュメント=写真=も。展示場は午前9時~午後7時。問い合わせは香川県交流推進課(087・832・3380)。

(2015年5月19日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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