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ひとえきがたり

敦賀駅(福井県、JR北陸線ほか)

希望の門出を見守る人々

一新した駅前広場。ユダヤ人難民を受け入れた当時の面影は見あたらない=福井県敦賀市鉄輪町1丁目
一新した駅前広場。ユダヤ人難民を受け入れた当時の面影は見あたらない=福井県敦賀市鉄輪町1丁目
一新した駅前広場。ユダヤ人難民を受け入れた当時の面影は見あたらない=福井県敦賀市鉄輪町1丁目 地図

 海風を背後に受けながら、気比神宮を横目に2キロ余りを歩いて駅へと急ぐ。1940年8月から翌年6月、敦賀港に降り立ったユダヤ人難民6千人の足跡だ。

 彼らが握りしめていたのは、リトアニアの領事代理、杉原千畝(ちうね)が発行した日本通過のビザ。ユダヤ人の根絶を掲げたナチス・ドイツの進撃でヨーロッパでの逃げ道を塞がれたため、日本を経由して第三国を目指した。シベリア鉄道でソ連を東進し、ウラジオストクから定期航路の船で敦賀へ。リトアニアからは約1万キロの逃避行。命がけだったという。

 「親は固くつないだ子どもの手を放して自由に遊ばせていた」とは、当時13歳だった井上脩さん(89)の目撃談だ。同じころ日独伊三国同盟が締結され、ドイツの盟邦となった日本に対し、当初は疑心暗鬼だったのではないか。「でも、市民からリンゴを受け取り銭湯に無料で入れてもらった。安心したんでしょうね」

 駅からは汽車に乗り、信仰の拠点を求めて神戸や横浜に散らばっていった。「彼らにとって、敦賀の港は初めて自由と平和を実感した場所。駅は新しい国に向かって出発する希望の場所だったんじゃないかと思うんです」。市民から目撃証言を集め、裏付け作業に奔走した郷土史研究家の古江孝治さん(65)は語る。

 ユダヤ人を見送った駅舎は、45年の空襲で焼失。10月5日から利用開始となった新しい駅前広場とともに、現駅舎が道行く人を見守っている。

文 岡山朋代撮影 楠本涼 

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 JR北陸線は、米原駅(滋賀県米原市)と金沢駅(金沢市)を結ぶ176.6キロ。

 鯖江駅から徒歩約10分のめがねミュージアム(TEL0778・42・8311)では、めがね形のストラップを作れる。フレームの外側を好きな形にカットし、やすりをかけて形を整え、磨いてつやを出す。要予約。500円。

 福井駅から徒歩約10分の老舗洋食店、ヨーロッパ軒総本店(TEL0776・21・4681)のソースカツ丼は県の名物。家庭用に特製のソースも販売。敦賀市内にも5店舗がある。880円。(火)休み。

 

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腕時計

 駅からバスで15分の人道の港敦賀ムゼウム(TEL0770・37・1035)は、ユダヤ人難民の目撃証言や写真などが展示されている。駅前の時計店がユダヤ人難民から買ったという腕時計=写真=も。時計店の娘が父の形見として手元に残した。

(2015年11月24日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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