読んでたのしい、当たってうれしい。

私のイチオシコレクション

宇和島市立伊達博物館

奇抜な意匠の旗印 由来は…

「生首の旌旗」 江戸時代 縦200×横150㌢ 麻地

 愛媛県南部、城下町として発展した宇和島市にある当館は、旧藩主の伊達家に伝来する資料などを展示しています。地元でもようやく浸透してきましたが、初代秀宗は伊達政宗の長男で、大坂冬の陣の功績によりこの地を治めることになりました。

 血のしたたる人の生首という奇抜な意匠の「生首の旌旗」は、代々伊達家に仕えた松根家に伝来した旗印です。この意匠は江戸時代を通して松根家で使用されました。

 語り継がれた由来によれば、祖先の新八郎が山形の最上氏に仕えていたころ、武者修行の途中立ち寄った村で、ある家の戸口に女の幽霊が立っていました。女は「この家の主人に恨みがあり晴らしたいが、門口に神符が貼ってあるので入れない。どうかはがしてほしい」と訴えます。新八郎が神符をはがすと女は家に入り、しばらくすると男の生首をたずさえて出てきて、新八郎にお礼にと生首を渡しました。

 帰国した新八郎は弔いの意味を込めてこの旗印を作ったとされます。生首は伊達家の菩提寺である金剛山大隆寺で供養されました。松根家の子孫で明治~昭和期の俳人・松根東洋城はこの旗印について「朧夜や 旌旗生首 家の蔵」と詠んでいます。

 「宇和島城下絵図屛風」は、標高約80㍍の城山に立つ天守を中心に五角形の堀に囲まれた宇和島城や城下町を海に面した西側から見ています。町を往来する人々や犬の姿も生き生きと描かれ、当時の風俗を知る資料としても貴重です。


 丸い引き手の跡が3カ所残っていることから元は4枚のふすま絵だったと考えられますが、現存するのは3枚で左端の1枚が不明です。2代宗利が晩年に住んだ浜御殿が、(右から)第四扇の下のほうに大きく描かれていることなどから、描かせたのは宗利と考えられます。自ら改修、整備した宇和島城の姿を残し、伊達家繁栄の願いを込めて制作させたのかもしれません。

(聞き手・高田倫子)

 

 《宇和島市立伊達博物館》愛媛県宇和島市御殿町9の14(☎0895・22・7776)。午前9時~午後5時(入館は30分前まで)。500円。「宇和島城下絵図屛風」は4月22日まで展示予定。原則火曜休み。

 

 

うえだ・りさ

学芸員 上田 理沙

 うえだ・りさ 宇和島市出身。山梨大学卒。

 故郷の歴史文化の魅力を伝えたいと2005年から勤務。
(2024年1月9日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

私のイチオシコレクションの新着記事

  • 台東区立一葉記念館 枠外までぎっしりと。肉筆が伝える吉原周辺の子どもたちの心模様。

  • 京都国立博物館 中国・唐と日本の技術を掛け合わせた陶器「三彩蔵骨器」。世界に日本美術を体系的にアピールするため、「彫刻」として紹介された「埴輪(はにわ)」。世界との交流の中でどのようにはぐくまれてきたのでしょうか?

  • 昭和のくらし博物館  今年は「昭和100年」ですが、昭和のくらし博物館は、1951(昭和26)年に建った住宅です。私たち小泉家の住まいで、往時の家財道具ごと保存しています。主に昭和30年代から40年代半ばのくらしを感じられるようにしています。この時代は、日本人が最も幸福だったと思います。日本が戦争をしない国になり、戦後の混乱期から何とか立ち直り、明るい未来が見えてきた時代でした。

  • 国立国際美術館 既製品の中にある織物の歴史や先人の営みを参照し、吟味し、手を加えることで、誰も見たことのないような作品が生まれています。

新着コラム