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神奈川近代文学館

全力疾走 無頼派 安吾の生き様

書「あちらこちら命がけ」色紙(個人蔵)。酔って揮毫(きごう)したが、妻・三千代さんに「何と書いてあるのか読めない」と言われ、右下にもう一度「あちらこちら命がけ」と書いた

 「あちらこちら命がけ」


 坂口安吾(1906~55)は、色紙からはみ出しそうな文字でそう書きました。開催中の「坂口安吾展」のサブタイトルにいただいた文言で、この色紙を展示の冒頭に据えています。「堕落論」「桜の森の満開の下」などで知られる無頼派作家。没後70年の節目の今、全力疾走の人生の「あちらこちら」を展観しています。

 安吾は20代半ばで小説「風博士」などで文壇で知られるようになりましたが、その後が続きません。作家の矢田津世子との苦しい恋愛がありました。展示した、決別を告げる書簡でも彼のナイーブな心情が明かされ、一方で執筆への並々ならぬ思いが胸を打ちます。ただ簡単には報われず、売れない作家としての放浪の日々は10年に及びました。

 終戦後まもなく発表し、人間の弱さを前向きに捉え直した「堕落論」が、打ちひしがれた人々の圧倒的な共感を呼びます。空襲下の極限状態を描いた「白痴」も大いに支持を集め、時代の寵児となりました。

 依頼が殺到し、すさまじい勢いで書いてゆきます。大車輪の執筆活動を進めるのに、覚醒剤を使い徹夜を繰り返していました。睡眠薬を併用し、やがて中毒症状に苦しみ入院。当時の闘病日記も展示しています。

 「あちらこちら命がけ」と冒頭の色紙に書いたのは40代のこと。妻となる三千代さんと出会ったのが転機になりました。急逝する1年半前、長男綱男さんを授かります。幼子にパパ、ママと呼ばせましたが、外来語に慣れぬ安吾は自らのことをママと言うなどして混乱させたそうです。そんなほほえましい情景を描いたエッセー「砂をかむ」の原稿もご覧いただけます。

 たくさんの若者が安吾展を訪れています。オンラインゲームや漫画などを通じて安吾の存在は親しまれ、作品が読みつがれています。展示を見つめる方々の表情から実感しています。安吾は今も生きている、と。(聞き手・木元健二)

 


 

  《神奈川近代文学館》 横浜市中区山手町110(☎045・552・6666)。[前]9時半~[後]5時半(入館は30分前まで)。原則[月]([祝]は開館)、年末年始休み。「没後70年 坂口安吾展 あちらこちら命がけ」は30日まで。800円。

 

    展示課長 斎藤泰子 さいとう・やすこ 1968年、横浜市出身。91年から同文学館に勤め、現在展示課長。小泉八雲や林芙美子、橋本治らの特別展を手がけてきた。

(2025年11月11日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。入館料、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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