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私のイチオシコレクション

開高健記念館

17/200と書かれた従軍取材時のヘルメット

 17/200。作家、開高健(1930~89)の遺品の、濃緑色のヘルメット。そう書かれているのにはわけがあります。

 1965年2月14日、ベトナム戦争取材中の開高はベトコン(南ベトナム解放民族戦線)に包囲され、〈森そのものが猛射しているとしか思えなかった〉(「ベトナム戦記」朝日文庫)戦場を逃げ惑います。従軍した政府軍部隊200人はわずか17人に。ヘルメットに書かれたのはこの数字でした。

 かつての開高宅は記念館となり、稀有な作家の人生を伝えようと、親交のあった人々が運営しています。

 58年に芥川賞。行動する作家として60年安保反対運動にも積極的に関わります。ただ、純文学作家としてはスランプに陥りました。

 ルポの執筆で打開を図ろうと、週刊朝日で連載を始めます。駆け出しだった私は、五輪に向けた首都の変容をとらえる「ずばり東京」の担当者に。開高は記憶力抜群でメモをとらない。よく響く声の人たらし。擬古文や日記体といった変幻自在な文体にも、うならされました。

 開高は「ずばり東京」の海外版としてベトナム戦争の現場取材を決心します。少年の頃、飢餓に苦しみ戦火を生き延びた。世の不条理を見届けようという作家魂に火がついたのでしょう。朝日新聞臨時海外特派員となってベトナムの南半分を100日間取材。ベトコン少年の衝撃的な公開銃殺の目撃記事は日本での反戦運動に弾みをつけ、ベトコンに包囲銃撃された体験は締め切り間際に電話口から吹き込まれた。17/200の戦闘ですね。連載を書き換え「ベトナム戦記」が緊急出版されました。

  胸に残るものは昇華され、小説「輝ける闇」(68年)、「夏の闇」(71年)として結実します。開高が世を去ったとき、夏の闇は司馬遼太郎さんの弔辞でも絶賛されました。直筆原稿を記念館は所蔵しています。

 いまも戦火は絶えません。ベトナム戦記のあとがきはこう結ばれています。〈とにかく私たちは見てきた。結論は読者におまかせします。〉

 戦争の実相を物言わず語る、開高のヘルメット。折にふれて展示しますが、私はこの存在をご神体のように感じています。

(聞き手・木元健二)


 《茅ケ崎市 開高健記念館》 神奈川県茅ケ崎市東海岸南6の6の64(☎0467・87・0567)。午前10時~午後6時(11~3月は5時まで、入館は30分前まで)。200円。月~木(祝除く)、年末年始など休み。

  

ながやま・よしたか

 開高健記念会評議員 永山義高さん  

 ながやま・よしたか 1938年生まれ。63年朝日新聞社入社。朝日ジャーナル副編集長、週刊朝日編集長、取締役出版担当など歴任。2026年6月まで開高健記念会理事長を務めた。

(2026年8月25日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。入館料、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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