数字の「6」のように見えるひらがなの「も」、独特な「れ」。作家・宇野千代(1897~1996)の直筆原稿です。
宇野さんは昭和の初め頃、画家の東郷青児と世田谷で暮らしました。その縁もあり2023年度、当館に直筆原稿や愛用品、書簡など2千点超の資料が寄贈されました。整理を終え、「没後30年宇野千代展 わたしと生きて行く私」を開催中です。恋と創作に生きた前半生が中心の前期展示に続き、終戦後の50歳頃からの後半生を紹介しています。
直筆原稿は、1982年開始の新聞連載「生きて行く私」。波瀾(はらん)万丈の人生を軽やかな文章でつづり、ベストセラーとなりました。
自伝的作品と評される本作は、事実もふんだんに盛り込む一方、明るく楽しげに脚色した部分もみられます。決して楽しいことばかりではなかった人生を、自身が書くことで振り返り、捉え直し、前向きな姿勢を文章に託して、明るく生きようとしていたのだと考えています。
連載当時すでに84歳。タイトルを「生きてきた私」ではなく、「生きて行く私」としたのは、その表れではないでしょうか。
自らの心の動きを冷静に観察し、登場人物に投影した小説も残しています。「この白粉入れ」(1967年)は、宇野さんを思わせる主人公が、東郷をモデルとする人物との出会いと別れを振り返る形で展開します。
実際に、宇野さんは東郷の情死未遂相手の持ち物であったと思われる白粉入れを使い続けていました。東郷と浅からぬ間柄の女性の持ち物を、なぜ手元に置いていたのでしょうか。
ある朝、東郷の家で無意識に手に取った白粉入れは、いつしか生活の一部となり、時折昔を思い出させる記憶装置のようなものだったのかもしれません。
「この私の無関心も、また背徳なのでしょうか」と記し、拘泥しない心と愛情とが交錯する、愛憎の日々を象徴する品と言えるでしょう。
(聞き手・三品智子)
《世田谷文学館》 東京都世田谷区南烏山1の10の10(☎03・5374・9111)。午前10時~午後6時(入場は30分前まで)。220円。月(祝休の場合は翌平日)、年末年始など休み。本展は来年3月28日まで。
学芸員 原辰吉さん はら・たつきち 2018年から現職。過去に「没後50年・椎名麟三と『あさって会』」や「ドナルド・キーン展 Seeds in the Heart」などを担当。 |