旅先で時間が出来たとき、わたしが喜々として出かける先はおおむね三つ。一つ目は近くの書店、二つ目は献血センター、三つ目は地元スーパーだ。
とはいえ近年、書店は減少傾向にあり、駅からバスやタクシーを使わねば出かけられぬことも多い。また献血センターも予約枠で受付がほぼいっぱいだったりするので、確認の電話をした時点で諦めねばならぬことも頻繁だ。余談だが先日出かけた盛岡では、献血センターの真向かいが地域でも名高い老舗書店で、幸い、ちゃんと献血も出来たこともあって、次の約束を忘れそうなほど楽しい時間を過ごさせてもらった。
ただこんな幸運は稀で、大抵は地元スーパーを訪れて、生鮮食料品コーナーを目を輝かせてのぞきこんでいる。とはいえ野菜や魚介類は日持ちがしないので泣く泣く諦め、麺類や菓子類を買い込むことがほとんどだ。
そんな風にして取材先の函館のスーパーで出会った菓子に、「べこ餅」がある。わたしが購入したのは、白砂糖と黒砂糖を使い、白とこげ茶色の二色に染め分けられた木の葉形の甘く柔らかな餅。後日、調べてみると、これはべこ餅の中でももっともオーソドックスなもので、最近では白色だけ、黒色だけ、はたまた多色を用いたカラフルなべこ餅もあり、形も木の葉形に限らないものが売られているらしいが、残念ながらそれらは店には並べられていなかった。
わたしは飛行機が大の苦手で、その時の函館取材も京都から東海道新幹線と東北新幹線を乗り継ぎ、約六時間半をかけて出向いた。取材そのものは大変有意義だったが、帰路もまた六時間半かと思うと、さすがに嫌気が差してくる。そんな車内を少しでも楽しいものとしようと、直前に買ったべこ餅をおやつに開けたのだが、結果としてこれが大正解だった。
べこ餅を食べたのは、間違いなく初めてだ。だが白砂糖と黒糖の味わいは懐かしく、初めてなのに初めてでない気がしてならない。一緒に置かれていた説明によれば、べこ餅は北海道、特に道南地方では五月の端午の節句に食べられる菓子という。なるほど、わたしが函館を訪れたのはゴールデンウィーク直前の四月下旬。この時期を逃すと出会えない幸運とじんわりと沁み通る優しい甘さを、同時に車内で嚙みしめていると、取材の疲れが吹き飛ぶ気がした。
この菓子をべこ餅と呼ぶ由来については、「べいこ」とも呼ばれる米粉が主材料だからとの説、白と黒の配色がホルスタインの柄に似ているから牛を意味する「べこ」を当てるようになった説など、色々あるという。わたしは家畜の歴史に関心があるので、個人的には牛から来た言葉だといいなと勝手に思っているが、由来が何であれ、べこ餅の柔らかな味わいが損なわれるものではない。
近年、土産物の開発・進化は全国的に著しく、わたしの暮らす京都でも久しぶりに駅に行くと、見知らぬ菓子が「人気の京都土産!」として売られていることが珍しくない。函館市内でもそれは同様で、数年前には目にしたことのない食べ物やキャラクターが土産物コーナーで定番商品と肩を並べていた。
地域の特色を打ち出し、リピーターでも飽きることがないように新製品を出し続ける。観光戦略としてそれはもちろん正しいし、一観光客の立場としては嬉しくもある。ただその一方で昔から多くの人々に愛され続けてきた品が存在すると知ることもまた、訪れる者にとってはその地域の歴史について触れる大切な機会となる。言うなればべこ餅はわたしにとって、観光地ではない北海道を垣間見させてくれた大切な味。初夏のかけがえのない出会いを、つくづくありがたいと思っている。
澤田 瞳子さん さわだ・とうこ 1977年生まれ。同志社大文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士前期課程修了。2016年『若冲』で親鸞賞、21年『星落ちて、なお』で直木賞受賞。『赫夜』『孤城 春たり』など著書多数。 |
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