「アジフライの聖地が長崎にあるんだって」
と教えられたのは、ちょうど去年の今ごろ。わたしの食いしん坊をよく知る人からのタレコミだった。
何それ?と調べてみれば、「アジフライの聖地」は俗称ではなく、長崎県松浦市が正式に名乗っているもの。松浦市はもともとアジの水揚げ量日本一の地で、近年、刺身でも食べられるほど鮮度のいいアジをフライで提供することを志向。平成三十一年には「できるだけ揚げたてを」「ノンフローズン又はワンフローズンで提供する」などを宣言する「松浦アジフライ憲章」を定め、市を挙げて松浦アジフライを名物にと取り組んでいるのだ。
料理をなさる方ならお分かりだろうが、揚げ物はとかく手間がかかる。その上、アジフライは魚をさばくという作業が加わるため、自宅で作るのは少々厄介な献立だ。
一方でわたしにとっては、数ある揚げ物の中でも、アジフライは五本の指に入る好物。むむむ、行ってみたい。ただわたしが暮らす京都から長崎市まででも遠いのに、更に松浦までは公共機関を乗り継いで半日がかり。いくら好奇心最優先のわたしでもこれは、と考えていたが、機会は意外に早くやって来た。この夏、長崎市に精霊流しを見学に行ったところ、一日ぽっかり時間が空き、長崎の知人が「松浦にアジフライでも食べに行きますか」と誘って下さったのだ。行きます!とつい前のめりになった。
これまで訪れたことがなくとも、歴史小説を書く身にとって、松浦は馴染み深い固有名詞だ。平安時代末期の源平合戦にも加わった水軍・松浦党、肥前平戸藩を長く治めた大名・松浦氏、そして鎌倉時代、海の彼方から来たモンゴル軍が台風によって壊滅した松浦市鷹島近海。そういった歴史上の「松浦」にばかり目を奪われていたせいで、かの地の新しい横顔に気づかなかったのはわたしの不覚。知らず知らずのうちに先入観に囚われていた我が身を深く反省した。
「せっかくですから」という知人のご紹介のもと、まず松浦市図書館にお邪魔する。多くの人が立ち寄りやすい、静かすぎない環境を志すとともに、松浦の日常生活を支える本を多く配架していらっしゃる、大変居心地のいい館だった。
その後うかがったお店で対面した松浦アジフライは、一見、何の奇のてらいのない外見だった。ただ身は分厚くふわふわで、さくさく薄めのアジフライを食べ慣れていると、大変な贅沢をしている気分になる。じんわりとした旨味が強いため、添えられていたタルタルソースはほぼ不用。全体に対して衣部分が薄いせいか、揚げ物特有のくどさはなく、もう一枚食べたい……と思ってしまうほどするりといただける不思議なフライだった。
とはいえ、松浦はアジフライだけを名物としているわけではない。道の駅には、「アジフライの後は元寇も」とのポスターが貼られ、食と歴史を共に楽しめる工夫がされていた。鎌倉武士がアジフライに乗ったり、アジを捕まえているイラストもそこここで見かけた。
実のところ令和の時代を生きる多くの人にとって、歴史とは馴染み深い存在ではない。鎌倉時代の元寇に強い関心を持つわたしのような人間が、少数派なのだ。だが親しみやすい食と歴史――まったくかみ合わなさそうなアジフライと元寇を重ねれば、松浦への関心は否応なしに強くなる。つくづく面白い。
道の駅の物産コーナーでは、揚げるだけに加工されたアジフライが飛ぶように売れていた。今日はもう帰路に着くばかり。買おうかな……としばし考え、結局やめた。元寇ゆかりの史跡は今回、併せて回ったが、恐らく近々わたしはまた松浦を訪れることになるだろう。その時にまた出会った方が、松浦アジフライを何倍も嬉しく味わえる。特別なものとは、特別に留めておいてこそ大切にできるのだ。
澤田 瞳子さん さわだ・とうこ 1977年生まれ。同志社大文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士前期課程修了。2016年『若冲』で親鸞賞、21年『星落ちて、なお』で直木賞受賞。『赫夜』『孤城 春たり』など著書多数。 |
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