告白すると、今も昔も「正月」にさして魅力を覚えない。
幼い頃は大人たちが寄り合って騒ぎ、どこにも出かけられないのがつまらなかった。長じた後は、酒好きにとって昼間から飲める機会は乏しいと理解したが、わたし自身はアルコールを受け付けない体質なので、やっぱり楽しいとは思えない。スポーツに関心がないため箱根駅伝にもさしてわくわくせず、おせち料理も味が濃いので、実はあまり好きではない。数少ない正月料理の好物は餅ぐらいだが、これも実は年末に親類宅で開催される、一日で二十臼以上を拵えるストイックな餅搗きの間に、搗きたての餅を思う存分食べてしまうので、肝心の三が日には餅への欲求は一年でもっとも低くなっている。
とはいえ正月、とくに元旦のあのぽっかりとした不思議な静けさだけは大好きだ。そしてそんなしんと冷えた静寂の一日にもっともふさわしいと考え、最近はずっと正月に取り寄せている食べ物がある。それは高知県の名産の土佐文旦だ。
わたしが初めてこの果物を知ったのは、かれこれ四十年も昔。日本古代史研究者・門脇禎二先生のお宅でのことだった。わたしの母は門脇先生とお付き合いがあり、毎年正月二日は先生のお宅に年始のご挨拶に行くのが慣例だった。ただ上記の通り、大人の酒宴が子どもに楽しいわけがない。そんなわたしに先生の奥さまが食べさせてくださったのが、先生の郷里で取れる土佐文旦だった。
文旦は今日でこそ、全国のスーパーで購入できるが、当時はまだ知る人ぞ知る果物だった。そうでなくとも小学生にとって、ミカンの数倍もの大きさを誇る文旦は見ているだけでも不思議だった。分厚く手ごわい皮や、一見、かさかさしているようで実はかぶりつくととてもジューシーな果肉の食感は、少しだけ大人向けの果物のように思われた。
わたしがあまりに文旦を気に入ったせいだろう。奥さまは以来、年始のご挨拶にうかがうと、必ず帰りに文旦を持たせてくださった。ただ先生がお年を召されるとともに、年始のご挨拶はご負担だろうとご遠慮することとなり、わたしもいつしかその果物の存在を忘れた。高校生になっていたわたしの目の前には、刺激的な様々が数え切れぬほどあり、もはや子どもの頃のように文旦に惹かれなくなったためでもあった。
それからずいぶんな時間が経った、ある夏だ。仕事で高知県に出かけたわたしは、南国特有の強烈な日差しにすっかりばて、よろよろとコンビニに転がり込んだ。
土産物屋を兼ねたそこには、ご当地の菓子なども多く並んでおり、ことに冷凍ケースにはご当地アイスが揃っていた。昔懐かしアイスクリンにはじまり、天日塩味、柚子、ぽんかん、そして文旦。――文旦!
厳しい太陽に焼かれた後にもかかわらず、かつての正月の光景が思い出された。門脇先生と奥さまはすでに彼岸の人となられ、わたしは先生のご専門だった古代を得意とする歴史小説家になった。もし先生と奥さまを通じて早くから古代史を垣間見なければ、今のわたしはなかっただろう。そしてあのつやつやと大きな文旦は、そんなお二人と少女時代のわたしをつないだ接結点でもあった。
というわけで早速、文旦アイスで一時の涼を取ったが、懐かしい味の一端に触れたせいで、かえって本物の文旦が欲しくなり、秋が訪れるとともにお取り寄せをした。大人になって以来、初めて口にしたその味を、やはり正月にこそ味わいたいと思い、結局年内にもう一度、注文をしなおし、現在に至っている。
暦に関係のないモノカキ稼業とあって、元旦も結局、毎年執筆をしている。電話もメールも来ず、せいぜいあけおめLINEが来るぐらいの静かな三が日は、実のところ、仕事にもってこいだ。文旦の冴えた味わいは、そんな年明けにこそしみじみと楽しみたい。
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澤田 瞳子 さわだ・とうこ 1977年生まれ。同志社大文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士前期課程修了。2016年『若冲』で親鸞賞、21年『星落ちて、なお』で直木賞受賞。『赫夜』『孤城 春たり』など著書多数。 |
![]() Ⓒ富本真之 |