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ひとえきがたり

大畑(おこば)駅(熊本県、JR肥薩線)

タカはほえた 名誉駅長を救って

線路沿いの桜が今年も咲いた。観光列車から降りた乗客がカメラを向ける
線路沿いの桜が今年も咲いた。観光列車から降りた乗客がカメラを向ける
線路沿いの桜が今年も咲いた。観光列車から降りた乗客がカメラを向ける 地図

 標高差430メートルを駆け登る途中の蒸気機関車が給水を受ける。日本で唯一、ループ線に組み込まれたスイッチバックの駅。急勾配に挑む蒸機が休息をとる姿は往年の鉄道ファンを魅了した。

 いま、観光列車を出迎える地元の人々の中に、池田幸男さん(73)の姿が常にある。元中学教師。退職してから13年間、無人駅の清掃を続けている。

 線路沿いの草を刈ったり、待合室のガラスの張り替えをJRに頼んだり。「100年を超える歴史のある駅が荒廃していくのが、たまらなかったんです」。通学路を掃除していた生徒の「汚い場所をきれいにするのは当たり前です」という言葉が心に残っていたという。2002年、名誉駅長に就任。自前の草刈り機は3代目だ。

 教え子からもらった雑種犬のタカが、掃除の相棒だった。03年の夏。いつものように線路沿いで草をむしっていた池田さんは、首をハチに刺された。視界がかすむ。軽トラックの荷台にタカを乗せ、急いで帰ろうとしたが、意識を失った。駅に止まっていた列車の運転士、西門(にしもん)良人さん(59)が気づく。あわてて救急車を呼んだ。

 「池田さんを助けたのは、タカですよ」。西門さんは、ふだんはおとなしいタカがほえ続けるのを不審に思い、出発直前で列車を止めたのだった。

 主人を救ったタカの話は3年前、人吉市の作家によって絵本「タカと幸(ゆき)おじさん」となり、自費出版された。初版の500部が評判を呼び、さらに1千部増刷された。今も地元の子どもたちに読まれている。

 昨年、16歳で逝った愛犬を池田さんは線路際に埋葬した。タカが眠るすぐそばで桜の花が舞っていた。

文 曽根牧子撮影 上田頴人 

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 JR肥薩線は、八代駅(熊本県八代市)と隼人駅(鹿児島県霧島市)を結ぶ124.2キロ。

 沿線に明治時代の木造駅舎や鉄橋が多く残り、世界文化遺産登録をめざす。通称「川線」(八代~人吉)は、日本三大急流の一つ、球磨川の渓谷美が見どころ。九州最大級の鍾乳洞球泉洞は球泉洞駅から徒歩20分。

 観光列車いさぶろう・しんぺいは、「山線」(人吉~吉松)を1日2往復する。起点となる人吉駅では、50年近く続く駅弁栗めしの立ち売りが旅情をそそる。駅から徒歩20分、球磨焼酎蔵元の繊月酒造で試飲を楽しむのもおすすめ。問い合わせは人吉温泉観光協会(0966・22・1370)。

 

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森林公園

 大畑駅は1909(明治42)年開業。構内には石造りの給水塔や、機関士がススで汚れた顔を洗った朝顔型噴水など貴重な鉄道遺産が残る。木造駅舎の壁は訪れた人々の名刺で埋めつくされている=写真。「貼ると出世する」ともいわれる。

(2015年3月31日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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