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旅してサプリ

最澄ゆかりの比叡山延暦寺とその周辺をめぐる

2021年に入滅1200年

改修が進む根本中堂のとち葺きの回廊屋根がメディアに公開された。ヘルメットをかぶった僧侶がスピーカーで解説=大津市坂本本町、井本久美撮影
改修が進む根本中堂のとち葺きの回廊屋根がメディアに公開された。ヘルメットをかぶった僧侶がスピーカーで解説=大津市坂本本町、井本久美撮影
改修が進む根本中堂のとち葺きの回廊屋根がメディアに公開された。ヘルメットをかぶった僧侶がスピーカーで解説=大津市坂本本町、井本久美撮影 比叡山鉄道の「ケーブル延暦寺駅」展望台から望む坂本。遠くには琵琶湖・沖島の姿も=大津市坂本本町、井本久美撮影 延暦寺・大書院での記者会見後に記念撮影する「伝教大師最澄1200年魅力交流委員会」役員やメンバーの大学生たち=大津市本本町、井本久美撮影 上部に三角形の破風が乗る日吉大社の「山王鳥居」。仏教と神道が合一した山王神道の象徴だ=大津市坂本、井本久美撮影 延暦寺の本坊、滋賀院門跡の宸殿・梅の間で灯り続ける「不滅の法灯」の分灯=大津市坂本、井本久美撮影 明智光秀が城主だった坂本城の城門が移築再建された西教寺の総門。門をくぐると両脇に宿坊が立ち並ぶ=大津市坂本、井本久美撮影

 一隅を照らす此れ則ち国宝なり――。国と人々の安寧を願い、道心(仏道を究める心)ある人物の養成の場として天台宗の祖・伝教大師最澄(767~822)が開いた大津市の比叡山延暦寺。2021(令和3)年に最澄入滅から1200年の大遠忌を迎えるにあたり、19(令和元)年5月、「伝教大師最澄1200年魅力交流委員会」が発足した。最澄の魅力を求め、延暦寺へ。山麓(さんろく)に広がる門前町・坂本にも足を延ばし、延暦寺の歩みとともに築かれた里の歴史や文化、人々の暮らしを訪ねる旅に出た。

文・写真/井本久美

 ◆日本仏教の母山 鎌倉仏教の宗祖が輩出

 大比叡岳(おおびえだけ、標高848メートル)を主峰に、四明岳や三石岳、八王子山などの峰々からなる比叡山。京都と滋賀の両県にまたがる延暦寺は、どちら側からもアクセスができる。新幹線で東京から京都まで約2時間、京都駅前から出ている「比叡山ドライブバス」に乗り込む。京都市内を抜けて田の谷峠のゲートをくぐると、大自然に囲まれた山頂までの道が続く。揺られること1時間ほど、「延暦寺バスセンター」前に降り立った。

根本中堂

 天台宗総本山・比叡山延暦寺は、788(延暦7)年に最澄が「一乗止観院(現・根本中堂=写真、© 比叡山延暦寺)」を建立し、自らが刻んだ薬師如来像を安置して灯明を供えたことがはじまりとされる。桓武天皇が平安京に遷都した794(延暦13)年には、都の鬼門にあたることから鎮護国家の寺院として、国の礎となる人材を育む山修山学の道場に位置づけられた。最澄が築いた教えは、法華経を根本経典としながら密教や禅法、戒律を包括した総合仏教。円澄や円仁、円珍といった天台の高僧をはじめ、平安末から鎌倉初期にかけて法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)ら、鎌倉仏教の宗祖が輩出したことから「日本仏教の母山」と呼ばれている。

 「延暦寺」は、1700ヘクタールの広大な寺域に点在する100あまりの堂宇の総称。1571(元亀2)年の織田信長の焼き打ちでほとんどが焼失したが、豊臣秀吉や、家康以来の徳川3代を支えた高僧・慈眼大師天海らによって復興され、1994(平成6)年に世界遺産に登録された。

 寺域は「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」の三つに区分される。東塔は、総本堂である「根本中堂」(国宝)をはじめ、各宗派の祖をまつる「大講堂」、総門の「文殊楼」など、重要な諸堂が集まる中心地。そこから北へ約1キロに位置する西塔は、円澄によって開かれ、山内最古の建造物「釈迦堂」や弁慶の伝説が残る「にない堂」、最澄が眠る廟所(びょうしょ)「浄土院」などが静寂な杉林の中にたたずんでいる。北へ4キロ進むと円仁が開いた横川があり、遣唐使船をモデルにした舞台造りの「横川中堂」、慈恵大師良源(元三大師)の住居跡「元三大師堂」などが立ち並ぶ。移動には各地域を結ぶシャトルバスの利用が便利だが、体力に自信があれば修行僧たちの足跡をたどりながら山道を歩くも乙だ。

 現在、根本中堂と回廊(重文)に覆屋(おおいや)がかかり、大改修工事が進められている。1951~55(昭和26~30)年に実施された修復工事から60年ぶりで、2016(平成28)年に着工、26(令和8)年に完工の予定。現存の建物は信長の焼き打ち後、江戸幕府の3代将軍、徳川家光の命で1642(寛永19)年に再建された。再建後の修復は7回目になる。本堂屋根の瓦棒銅板葺やとち葺きの回廊屋根のふき替え、中陣の天井絵「花天井」の剥落(はくらく)止め、欄間彫刻の彩色修理などが10年かけて実施される。2019年8月に修復現場を見学できる「修学ステージ」が完成し、一般公開が始まった。普段は目にすることのできない江戸の建築技法や修復技術が間近に見られるため、とても貴重な機会。ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。改修中も本尊など内部の参拝は可能だ。

 

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