今から60年も昔、古都京都にバリアフリーの美術館が誕生した。日本画の巨匠が込めた思いとは--。
レリーフで彩られた白亜の建物が、衣笠山を背景に映える。
近代日本を代表する日本画家堂本印象(1891~1975)が、75歳で自邸の隣に建てた京都府立堂本印象美術館。館内外の装飾をはじめ、イスや案内板、ドアの取っ手まで自身がデザインした。いわば館そのものが美術作品だ。
学芸員の森麻紀子さんは「当館には数えきれないほどの(デザインの)スケッチが残されています」と話す。時にはスケッチ帳代わりに簡素なメモ帳も使って描いたという。
印象は、渡欧先で見たベルサイユ宮殿や教会などを参考に空間を創造した。京都市在住の画家小森文雄さんは「画家でこの建物を発想できるのはすごいこと。印象は日本のピカソなんちゃうかな」と称賛する。
「あの時代に画期的」と特に舌を巻くのは、2階のメイン展示室へ続く、段差のないスロープ状の回廊だ。まだバリアフリーの概念がない時代、印象がスロープを導入したのは老いて足の悪い母への愛情だった。
夫を亡くし、貧しい暮らしのなか、9人の子を持つ母は自分の着物を売って印象の画材代にあてた。印象も家計を助けようと努力を重ね、画家として成功。母の楽しみの観劇の際には抱えて車に乗せ、晩年まで孝行を尽くしたという。
母は館の完成を待たずに他界。母をモデルにしたとされる「顔」のレリーフが、外壁の中央で穏やかな表情を浮かべているように見えた。
印象没後50年の昨年、国の登録有形文化財に登録された。調査の際、印象の構想を受けて建築家の石川純一郎が初めに提案した設計図案が発見された。「今の建物と異なるシンプルな外観で、印象にはしっくりこなかったようです」と、主任学芸員の松尾敦子さんは話す。さまざまに画風を変化させた印象だが、館の建設当時は装飾的な作品に取り組んでいた時期だったという。
若い頃に貧しさを経験したことなどから、多くの制作依頼も請けた印象は後半生、自身の思うままに新たな表現を追求した。松尾さんはこう力を込める。「この館も楽しみながら作ったことが伝わり、印象の思いが詰まったパワースポットでもあります」。
(中村さやか、写真も)
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DATA 設計:石川純一郎(装飾意匠:堂本印象) 《最寄り駅》:北野白梅町 |
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徒歩約10分の「京菓子司 笹屋守栄」(☎075・463・0338)では、堂本印象美術館にあるステンドグラス作品「蒐核(しゅうかく)」からイメージした羊羹(ようかん)などを販売。初代店主は印象と交友があり、印象や弟子らがデザインした包装紙を使う。午前9時~午後5時半。水と第2・4火休み。