「モンサンクレール」 セラヴィ〈プティ〉 「セラヴィ(これぞ我が人生)」と名付けられたケーキ。お笑い系ウェブメディア「オモコロ」の編集長、原宿さんはその名前の重さ、味のすごみに胸を打たれました。
「回文」と聞いて、どんなものかピンとくるでしょうか。
たとえば日本語の「たけやまやけた」や「しんぶんし」、英語の「madam(マダム)」や「racecar(レースカー)」、フランス語で「Élu par cette crapule(訳:この悪党によって選ばれた)」など、前から読んでも後ろから読んでも同じになる言葉や文が回文に当てはまります。
これは個人的な話ですが、なぜか私は中1の現代文の授業で習った「しにたくなるよと夜なくタニシ」という回文が忘れられず、今でもそらんじることができます。響きがキャッチーだったというのも一つの理由かもしれませんが、聞いた瞬間に、まるで芭蕉の名句「五月雨を 集めて早し 最上川」のように情景が広がり、ことばの面白さよりもタニシの深い孤独が手に取るように伝わってきたのです。
2009年から回文を作り始めたという回文家のコジヤジコさんは、「回文だからこそ、時にすごくジャンプしたような表現が生まれる」と言います。
言葉が無限に循環するだけでなく作者の思考をもグルグル惑わし、その過程を楽しませながら、思いも寄らなかった表現へふっと導くことばの芸術。コジヤジコさんの初個展を振り返りながら、ふしぎな回文の世界へ誘います。(聞き手・島貫柚子)
※コジヤジコさんは9月12日朝日新聞夕刊「グッとグルメ」に登場します。
――コジヤジコさんの初の回文個展「光る番が来るからな。」(2024年4月19日(金)~5月4日(土)、@まめでんきゅう画廊)の最終日にお邪魔しました。とてもにぎわっていましたね。
金土日、金土日、金土だったので実質8日間で、1日あたり100人ぐらい来廊いただきました。
―― 中央に天井から吊るされた回文の回転装置があって、ぐるぐる回文が回っているのが面白く、ずっと眺めてしまいました。
この回転装置はオリジナルで、画廊のオーナーや友人に手伝ってもらいながら半年間かけて作っていきました。本当にみんなで作り上げていったので、いろんなことが絡み絡まりあって、いい個展ができたなと思っています。まめでんきゅう画廊という場所の力もすごく感じましたね。あの場所は古民家の土間を改装しているので、雑居ビルに入っているのとは違って、戸をくぐればそのまま入れるような開放感があって。
たぶん一般的には回文の知識って、しんぶんし(新聞紙)とか、たけやがやけた(竹屋が焼けた)みたいなところで止まっているんだと思うんですよね。回文っていう存在自体が世の中的には認知がないというか。
―― たしかにそうかもしれません。私も、小・中学生のころの国語の授業とかが唯一の接点という気がします。
だから「なにこれ」みたいな反応になるわけですよね。ぼくはずっと作っていたので実感がなかったのですが、世の中に出してみて、みなさんの反応に驚きました。
―― 個展にはかなりの数の回文がありましたが、今までに作った回文の数はどのぐらいあるのでしょうか。
少なくとも3千は作っているんだろうと思いますね。メモ代わりにしていたツイッターにログとして残っているものと、もちろんスマホのメモにもあって。個展では過去に作った回文の中から、120点、ぼくが気に入ったものを絵や文のまま展示しました。壁に飾っていた絵もぜんぶ自分で描きました。
―― 3千もあるとなると、たとえば1日1つ作るなど決めているのですか。
決めてはいないのですが、実際そういうような生活になってはいますね。「回文を毎日作っています」と言うと 「10年も日々作られてるんですか!?」みたいなリアクションをされがちなのですが、歌人や俳人が日々作っているというのと別に違いはなくて。何かを目指してというよりは、ただただ楽しいので作っています。
―― そもそも回文との出会いは何だったのでしょう。
2009年、年齢で言えば30歳ぐらいの頃、インターネットで回文を見て自分でも作ってみようと思いました。当時は詩とか短歌とか、言葉への興味が自分の中で高まっているような時期だったので、「面白そう」と。子どもの頃からそういう変な表現は好きでしたね。
――変な表現というのはたとえば。
学校とかで、 その時々のブームみたいなものってありますよね。「指をこうやったら音が鳴るよ」とか。昔からそういう変な流行りが好きだったし、やってみたくなるというような性格でした。
―― なるほど。面白そう、から今までずっとハマっているんですね。
そうなんです。ネットには同じような活動をしている人もいるので、その人たちと交流したいな、と2013年に回文専用のアカウントを立ち上げたら、思いの外たくさんいらっしゃって。純粋に回文だけを作っている人はそう多くはないのですが、短歌や小説を作りつつ回文も作っているという人はいるので、だんだんぼくのネット上のつながりも豊かになってきて。この辺から、より回文が面白いと思うようになりました。
「コジヤジコ」という名前も回文ですが、名乗り出した時はもう、何がなんだかわからないキャラクターみたいなのが回文ばっかり作っていたら面白そうだなと思っていました。
何か欲望があったわけじゃなく、そういうものを削ぎ落として、ただただ回文を作りたかった。ネットを飛び出したのは2017年で、「いました姉妹」という回文絵本をイラストレーターの若林夏さん、アクセサリー作家のシスター社さんと一緒に作ってグループ展もしました。
―― かわいいですね。こういう回文絵本は、絵と文字はどちらが先なんでしょうか。
文章が先ですね。で、だんだん面白くなり、SNSに投稿するときに人にイラストを頼むのもなんだなと思い始めて、自分でもちょちょっと絵を描くようになったんです。その後、文も絵も自分で描いてZINEとして作ってみたのがこちらです。
――絵もコジヤジコさん作画なのですね。かわいい。のちほどじっくり読んでみます。今まで作った回文のなかで、特に気に入っているものはありますか。
たいていなぜか よそよそしいし そよそよかぜ ないていた
という回文が好きですね。
もし豊かな詩を書こうと思ってもなかなか難しいけれど、回文という仕組みがあるからこそ、たまにそういうものと出会える。短歌でも俳句でも、限られた文字数のなかで表現するがゆえに自由だというところがあって。
回文は、そのだいぶひねくれた版。でも回文だからこそ、時にすごくジャンプしたような表現が生まれる。純粋にそれを面白いと感じているんです。
――たしかに上から読んでも下から読んでも成り立つ回文って、難しいというか、ひねりを加えた表現というか。回文を作るときの思考回路というのは、どうなっているんでしょうか。
こういうものを作ろう!と思ってもなかなかそうはならないので、 何かしら単語を決めて、そこから作り始めていきますね。
―― 「いい骨格と、ふくよかな腹、シワ無き手。ステキなわしらは、仲良く、太く、かっこいい」。コジヤジコさんの回文で好きなものの一つですが、こちらはどこから作り始めたんでしょうか。
どこからでしょうね……。自分でもよく覚えていませんが、 「こっかく くかっこ」からですかね。それこそ「ぐるめ」とかを例に考えてみるとわかりやすくて。「ぐるめ」反対にすると「めるぐ」ですよね。
ぐるめ めるぐ
ここで真ん中に1文字足したらもう出来上がるというパターンがあるので、「の」を入れてみましょう。
ぐるめ の めるぐ
でもまだよくわかんない。だけど「のめる」と「ぐ」という言葉があるから、「飲める」「具」だったら、それは文章になるかもしれない。 じゃあ、ちょっと一回ひっくり返してみるか。
めるぐ の ぐるめ
「の」は引いて、「よ」を足してみるか。
よめる ぐ るめよ
その応用がこんな感じです。
みなは わらう はるは うらわはなみ
というような感じで、あっち行ったりこっち行ったりしながら最終的にどういうところに着地するのか、ということ自体を楽しんでいます。長いのは難しいんじゃないか?と聞かれることがあるのですが、意味が破綻してもよければ、どんどん伸ばしていけるけれど、むしろどこで着地させるか。そこにセンスが問われると思います。 長ければいいとは思わないですね。
――「回文づくりって、どのぐらい難しいんだろう」と気になって、きょうの取材にあたり、私も回文を作ってきました。よかったら見ていただけませんか。
ぜひ拝見させてください。……ちょっと。いっぱい作ってるじゃないですか。
小樽でLeTAO (おたるでるたお)
「そう、魚の中さ」「ウソ」 (そうさかなのなかさうそ)
嗅いだんだ、イカ (かいだんだいか)
夜、月曜よ、告げるよ。 (よるげつようよつげるよ)
死ぬな、主 (しぬなぬし)
天才、解散て (てんさいかいさんて)
TSUTAYA建つ (つたやたつ)
幼い 書けない。泣け、腕、竿
(おさないかけないなけかいなさお)
炭酸サンタ (たんさんさんた)
地球諭吉 (ちきゅうゆきち)
月火水木金土日にドンキ。クモ!イス担げ
(げつかすいもくきんどにちにどんきくもいすかつげ)
はっくしょん よし。靴は?(はっくしょんよしくつは)
ラバ ピカソ カピバラ
※すべて島貫柚子作
―― 初めの一つを作るのはかなり苦労したんですが、コツがつかめたら、もう楽しくなっちゃって。実際に作ってみて感じたことですが、回文って、作り手の趣味や性格みたいなものが出てきてしまいませんか。
それはどっちもあるなと思っています。というのも、言葉をひっくり返してできちゃったがゆえに、自分じゃ普段言わないような文章も生まれるんですよね。回文には、自分の殻を拡張するような要素があって。引っ込み事案な性格だとしても、回文なら作れるんです。「だって、できちゃったんだもん」と言えるし、たぶん発表できちゃうだろうし。
――たしかに、 自分の意思を込めた創作とはまた違って、もっと偶然できているような。恥じらいは少ないかも。
そうなんですよ。半分は偶然できているようなものなので。出来たものが自分から離れていればいるほど、 自分の可能性を知るような側面もあるだろう、と。さらにもう一歩進んだところで、回文からにじみ出るものを感じてほしい。たとえば俳句を見て、「よく五七五に収まりますね」と言われたら、俳人は困ると思うんです。17文字が醸し出す何かを感じ取ってほしいはずなので。そういう意味では回文も同じですね。
―― それが誰かの心に刺さった場合、キャッチコピーのように長く覚えられることもありそうですね。
まさに、めちゃくちゃコピーっぽくなることがあって。せっかくだし、と個展に飾った回文を後夜祭的にSNSに投稿していたのですが、「下手な愛ならいらないあなたへ 」という回文はかなりリツイートしていただけました。
飽きたことはないですね。というか回文は、良くも悪くも自分と向き合う要素が少ないので、別に落ち込んでたから作れないとかもないですし。
「ラバピカソカピバラ」もいいですね。「TSUTAYA建つ」もいい。「地球諭吉」も意外に考えたことはなかったなあ。こういう意味のわからない文字列に、ちゃんと意味を見出せるかって、意外にできない人は出来ないんです。1回決めてしまうと、もうそうとしか思えないみたいな感じで。
でも、作っていくうちに、だんだん意味が変わってくるんですよね。こう捉えるよりは、ここを文節で区切ったら意味がいいかもなみたいな時もある。どれだけ柔軟性を持てるかというのが、回文づくりの姿勢としては必要かなと思います。
島貫さんの回文だと、「天才、解散て」とかが、たぶん「伸びる」だろうなって感じですかね。
――伸びる?
文末は「解散て」でちゃんと終わっている感じもするから、この場合は、間に入れていくタイプじゃないですかね。
てんさい ? かいさんて
ここで考えるわけですね。天才はなぜ解散したのか。「死ぬな、主」も伸びるだろうな、という意味で要はいい種なのです。なんで主は死んじゃいけないんだろうか。
しぬな ? ぬし
――コジヤジコさんだったら、なにか理由や状況を足してみたくなる?
そうそう。そこに思わぬ面白さがそこで出てくる可能性があるんですよね。ぼくの好みで言えば、やっぱりなんか状況が入って、一山展開があるようなボリューム感が好きですかね。……と、こうやって人に発表できるのが回文ならではです。
たくさんのなんでもないものを作るなかで、なんかたまに「お、いいじゃん」みたいなのができる。ぼくのこういう回文はめちゃくちゃ数作ってるからっていうだけでもあって、全然そんなうまくはいかないですね。回文、ぜひがんばってみてください。
―― 今後はどう活動を広げていきたいでしょうか。
回文を原石として、回文×?という形で、まだまだいろんなことができるんじゃないかなと思っています。さきほど話したように、回文ってコピー ぽいですし、たとえば回文×歌とか、回文×物語とか。
大人に向けても何か表現できたらなと思います。絵本の発売や今回の個展など、特別な機会に合わせてワークショップを何度か開催しました。回文を作って、その回文の絵も描いてもらったのですが、これが結構良かった。「私はそんな表現なんてできないです」という人も、変な回文ができてしまったがゆえに変な絵を描かなくちゃいけないんだけど、「いつも羽目を外さない私が、こんな変な文を作って、こんな変な絵を描いたんだ」って、その経験がある種の癒やしみたいな部分があって。
変だろうが不思議だろうが、 回文は上手いも何もない世界。いつもの私じゃない私に出会える面白さを感じてほしいです。回文は、大人のちょっと変わった趣味として全然ありうると思います。
コジヤジコ 回文家。1977年生まれ、沖縄県出身。会社勤めのかたわら、2009年ごろから回文を作り始める。回文絵本「まくらからくま」(岩崎書店)、「よるよ」(偕成社)などを出版。 |
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▼コジヤジコさんのグッとグルメ
https://www.asahi-mullion.com/column/article/ggourmet/6182