「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」(2022年) 戦争の爆撃で亡くなった息子が残した松ぼっくりが木となり、その木から作った人形に命が宿る。イタリアの児童文学作品「ピノッキオの冒険」を元に、ギレルモ・デル・トロがストップモーションアニメにしたダークファンタジーです。
日常を切り取って発信する動画版のブログ、「Vlog」は今世の中にあふれていますが、その中でもひときわ目をひいたのがNIKO LIFEさんの動画でした。「心に効く、暮らしとインテリア」というテーマで、生活に対する考え方などを発信しています。せわしない日々の中でも自分を大切に、小さな気付きもそっと拾い上げよう。そんな優しい世界が広がっているように感じます。
今回NIKO LIFEさんに取材をさせていただき、物作りに目覚めたきっかけから、人気インフルエンサーになるまでの道のり、そして動画制作の裏側まで、たっぷりとお話を聞かせていただきました。
(聞き手・斉藤梨佳)
※NIKO LIFEさんは9月20日(金)朝日新聞夕刊「私の描くグッとムービー」に登場。
Profile にこ・らいふ 1987年東京都生まれ。Vlogを発信するYouTubeチャンネルでは2021年から現在までの3年ほどで約150本の動画を投稿し、登録者数は70万人。ルミネ町田の2023 Springの広告アートディレクションを行う等、クリエイターとして活躍の幅を広げている。今年にはライフスタイルブランド「BONUQUE(ボヌーク)」 をオープンした。 |
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■物作りの原点
――NIKO LIFEさんの物作りの原点は何でしょうか。
幼稚園の頃からずっと絵を描いていたいという子どもでした。画用紙を取り上げられると泣き出すような。手がかかるから、先生が1対1で面倒を見てくれるほどでした。
幼い頃は狭い社宅で両親と3人で暮らしていたのですが、私が5歳の頃に妹が産まれたんです。赤ちゃんを育てるのはとても大変で、私は祖父母の家に1年以上預けられるようになります。祖父母は私が描いた絵を全部壁に貼ってくれて、いつも褒めてくれました。その経験から物作りをしたいという自我が生まれたのだと思います。
その後両親と妹が暮らす家に戻ることになるのですが、妹を中心とした生活になかなか慣れることができず、ポツン、と世界の片隅に自分だけが取り残されたような感覚になりました。そこからより一層、何かを作ることで自分の殻に閉じこもるようになっていって。窓際の小さな空間に棚をL字型に置いて、お気に入りの布を敷いたりして。そこを自分の部屋だと思って折り紙をしたり絵を描いたりしていました。徐々に慣れて今では妹とも親友のように仲良しですが、当時はその環境に慣れることが難しかったんです。
――大学時代は映画を制作し、卒業してからも映画監督やカメラマンをしていたそうですね。映像に興味を持たれたきっかけは何ですか?
中学、高校と美術系の学校に通っていて、ずっと絵を描いていたんですよ。ただ、その時1番興味があったのはファッション。でも絵を描くのも、映画を見るのも、読書をするのも好き。全部興味はあるけれど将来どういう仕事に就くのが適しているのだろうと考えた時、「絵だけでもファッションだけでも嫌だし……あ!映画!?」ってピーンときたんです。映画ならファッションの要素や絵画的な描写もあるし、ストーリー性もあるから、映画を作れば良いのかなと。東京造形大学(油絵科)に入って、しばらくしてからそのことに気が付き、映画制作を始めました。
――どんなテーマの映画を作っていたのですか?
社会ではぐれ者の人々が主人公の群像劇が多かったです。自分も社会の流れに合わせることが難しく、孤独に感じた経験があるから、そういう立場の方々に救われて欲しいなという思いで作っていました。大学を卒業する頃にぴあフィルムフェスティバルなどで入賞させていただき、そこからお仕事も少しずついただけるようになって、映画制作に携われるようになりました。
――順風満帆に見えますが、2年ほどで広告業界に転職されますね。なぜですか?
人を統率することが苦手で、監督としてやっていくことにミスマッチを感じるようになりました。
あとは資金繰りが難しいこと。観客を集めても知人や関係者ばかりになってしまう映画も多くて、その状況を見た時に、「作品自体は良いのにうまく宣伝できていない」と感じたんです。その当時は今みたいにはSNSも確立されていなかったので、いくら良い作品を作ってもその作品を知ってもらう方法を勉強しないと難しいのではないかと感じて、広告業界に入りました。
――広告業界で働いてみてどうでしたか?
すごく勉強にはなったのですが、入ってみて分かったのは単純に自分が良いと思ったものを広められる場所ではないということ。価格競争や広告枠の兼ね合いなど、色々な事情にもまれて働くうちに、もう少し自己表現ができる場所に行かなければ、物作りが続けられないと思って、IT業界に転職をしました。
転職先の部署ではメディア業務をやっていたのですが、自分の思いとは裏腹にクリエーティブよりもマーケティング業務を中心に任されるようになってしまい、空回りしているなと感じていました。そこからカメラマンの副業などもするようになりました。
――IT業界で働いている時にYouTubeへの投稿を始められたのですか?
そうですね。コロナ禍で本当に優秀なクリエーター達が会社にいられなくなり、辞めていく姿を見てすごく悲しい気持ちになってしまって。自分でハンドリングできる環境を作りたいなと思って、1年くらい準備をしてからYouTubeでお部屋のインテリアやモーニングルーティン、カフェでの様子などを発信する投稿を始めました。
撮影:比嘉 久人
■動画の作り方
――旅行先などで1人で過ごされている動画はどうやって撮影されているのですか?
まず撮影したいお店に入って店員さんに「撮影しても大丈夫ですか?」と許可取りをしています。OKだったら小さな三脚を隣のテーブルに置かせていただいて、ちょっと撮ったらすぐに片付けて、という感じで自分で撮影をしています。人が多いところでは手持ちで撮っていますね。カメラは毎回1台しか使っていなくて、複数のアングルがあるのは、時間ごとに変えているからです。
――1つのカメラでこれだけクオリティーの高い動画が作れるなんて驚きですね!
映画を撮っていたことや、副業でカメラマンをしていた経験がかなり大きいですね。場数を踏んだからこそ、効率的な撮り方が分かるのだと思います。仕事の合間に作業をしているので、大体1つの動画を作るのにかかる時間は3~4日ですね。
――動画を作る上で工夫しているポイントはどんなところでしょうか。
自分の好きな空間やお洋服が素敵に見えるようにというのは1番意識しています。あとは私は雑誌が大好きなのですが、唯一「惜しい!」と思うところが、ストリートスナップなどで「これ可愛い!」と思ってもよく見ると「スタイリスト私物」と書いてあったりすること。これ欲しいのにどこに行ったら買えるの!?とモヤモヤすることが多かったので、自分の動画ではなるべくどこで何を買ったのか、ブランド名やお店の名前なども分かるように紹介をしています。小さなこだわりポイントですね。
――以前ご自身の動画は、寂しい時や不安な夜に見てくださる方が多いとおっしゃっていましたが、なぜだと思いますか?
私が表現したいものの根幹は、不安な思いをしている方々に勇気を与えたいとか、支えになりたいという気持ちが強いため、必然的にそうなっているのかな、と今お話していて思いました。
幼少期も社会人になってからも、「このままどうなっちゃうんだろう……」と孤独に押しつぶされそうになった夜がたくさんあって、その時に手をさしのべてくれる人がいたらどんなに良かっただろうとすごく思うんですよ。当時はSNSなどもそこまで流行していたわけではなかったので…。その代わりに私は安野モヨコさんの「美人画報」、岡崎京子さんの「Pink」などの書籍や、犬童一心監督の「ジョゼと虎と魚たち」などの映画の世界に救われてきた部分があります。ただそういうものって自分で見つけ出すものだから、なかなか難しい。もっと分かりやすいものがあったら、もっと救われた気持ちになれたのかなと思うと、自分がそういう存在になりたいなと思います。その思いが視聴者さんにも伝わっているのであれば、うれしいですね。
――インフルエンサーとして知名度が上がるきっかけとなった出来事はありますか?
自分自身ではまだまだ知名度があるとは思えていませんが、最初に話題となったのは2022年3月に投稿した「【春のモーニングルーティン】30代OLの5:30起きの朝活。夜型を辞めた3つの理由」という動画です。この動画をきっかけに「暮らし」ジャンルのインフルエンサーだと認識していただけた気がします。私は2年ほど前に会社も辞め、YouTubeへの投稿もお休みして、YouTube番組で事業立ち上げリアリティショーの「Nontitle」に出演していたことがあるのですが、番組の期間中、急に再生回数が伸び始めたんです。全てをなげうって番組に挑んでいた最中での出来事だったので、気持ち的にもとても助けられた思い入れの深い動画です。
――YouTubeへの投稿を辞めたいなと思ったことはありますか?
あります。最初は特に、誰にも見つけてもらえないのでめちゃくちゃしんどかったです。私は映画制作や広告業界の経験もあるせいか、反応があって初めて作品だという意識が強いのだと思います。だから動画を見つけてもらうことと自己表現を両立させることがメンタル的に結構きつかったです。
――それでも辞めずに続けてこられたのはどうしてですか?
映画制作でも広告業界でもうまくいかず、IT業界でも思うようにいかなかった。でも、こうなったら良いのにという思いはずっとあったんです。自分でゼロから環境を作って、自己表現をしながら心身ともに健康的な環境で良い物を作って、それが人に届いて、生まれた収益でまた良い物を作って……という循環ができれば、広告だって物だってより良くなっていく。そういう構想が自分の中にあって、それを成し遂げたいという思いがありました。その思いにふたをするかしないかは、もう自分次第だなとずっと分かってはいたので。今までの失敗を無駄にしたくないという思いと、応援してくれる方々のお陰で続けてこれました。
その物作りの循環を作りたくて、今年ライフスタイルブランドBONUQUEもオープンしました。
――BONUQUEではファーストプロダクトとしてリードディフューザー(香りのする液体をスティックで吸い上げて空間に香りを広げるアイテム)を発売されましたね。
最初はもう少しウッディーな香りにしようと思っていたのですが、サンプルを用意して前職の後輩にかいでもらった時に、「すみません、臭いです」と言われて(笑)すごい衝撃でした。好きな人はめちゃくちゃ好きな香りだったと思うのですが、その香りの深さみたいなものが万人には受け入れられづらいのかなと感じて、より多くの方々が良い香りだなと思ってくださる方向にしようと考えました。
それから「香りのお手紙」と題して試香紙に香りをつけたものを全部で6種類、希望者全員に送りました。約4000名から応募があり、そのうち約2800名が好みの香りを選んでくださったり、参考になるご意見を送ってくださいました。さらに、直接視聴者さんとお会いしてヒアリングをする座談会なども開催し、そこでもご意見をいただいて、ようやく今のホワイトティーやフォレストの香りにたどり着きました。
撮影:比嘉 久人
――今後の活動を通して実現したいことはありますか?
あらゆる世代の方の心をつなぐ、“価値観の共通点”を作りたいと思っています。結婚をしたり、子どもができたり、介護をしたり……ライフステージが変わると会話が合わなくなって、友人と疎遠になってしまうこともありますよね。でも「可愛い!」とときめく心は年齢問わず共通するのかなと思っています。そういう点であらゆる世代の方の気持ちが一つになるというか、喜びを分かち合える物作りができたら良いなと思います。
――今この記事を読んでくださっている方の中にも、何かに挑戦してみたいけれど勇気が出ない、一歩踏み出せないという方がたくさんいると思います。そういう方にNIKO LIFEさんが声をかけるとしたらどんなメッセージを送りたいですか?
必ず失敗は糧になるということをお伝えしたいです。失敗のない人生なんてないから、失敗を悪いものと捉えなくて良いし、自分が経験したことのないものに恐れを抱くのも当たり前。だから今将来を不安に思われている方がいたら、大丈夫だよという言葉をかけたいなと思います。
取材後記
NIKO LIFEさんの動画はかねてより拝見していましたが、幼少期やインフルエンサーになる前のことはあまり聞いたことがなかったので、驚くことも多々ありました。
幼い頃から物作りに全力投球、映画監督は長くは続かず、広告業界に入っても、IT業界に転職しても、好きなことはなかなかやらせてもらえない。葛藤の連続だったと思います。取材の中で「クライアントワークを通して人から求められている物作りを経験したからこそ、今自分の作品を多くの方に見ていただけている」とおっしゃっていました。失敗に見えた全ての出来事が、今の自分につながっている。そう思うと、今をきっと肯定できる。この記事を読んでくださっている方の中にも、先の見えない不安にぶつかっている方はたくさんいると思います。私も時々、そうなります。でもその経験こそが、後々想像もできない形で自分を輝かせてくれるかもしれない。今はまだ見えなくても。そんな希望を示してくださる取材でした。
(斉藤梨佳)
公式Youtube
https://www.youtube.com/@niko_lifework/videos
公式インスタグラム
https://www.instagram.com/niko_lifework/
▼私の描くグッとムービー(9月20日午後4時配信)
https://www.asahi-mullion.com/column/article/dmovie/6191