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建モノがたり

ホテルニューグランド本館(横浜市)

もてなしの心 照らす復興と港町

港町ヨコハマの老舗ホテル。開業100年近いが、名には「ニュー」がつく。その歩みは――。

 

入り口から大階段のブルーのじゅうたんに導かれる。視線の先には、天女を描いたつづれ織りが広がる。重厚な西洋建築に和の要素が光る。船旅華やかなりしその昔、日本の玄関口だった横浜ならではだ。開業の1927(昭和2)年以来、港町の変わらぬランドマークになっている。

 

ホテルの歴史は1923年、横浜が関東大震災に見舞われたことから始まる。開港して以来の発展で、ホテルが軒を連ねていたが、軒並み壊滅的な打撃を受けた。当時の横浜市長が復興のシンボルとしてホテル建設を提案。政財界をあげて開業計画が進められた。

 

「ホテルニューグランド」の名は、この地の代表的な存在で、震災で失われた横浜のグランドホテルにちなんだ。設計にあたったのは渡辺仁(1887~1973)。現在の銀座・和光など名建築を手がけた人物だ。

 

「関東大震災の惨状を受けてつくられた建築物であることがよく分かりました」

 

2016年の耐震改修工事に携わった清水建設ビジネスソリューション部、小林俊樹さんはそう振り返る。当時としては珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造を採用、耐震壁を多く配置していることなど頑丈なつくりにしようとしたことがうかがえる。そもそも100年近く保たれているのは、ホテル側のメンテナンスが一貫して行き届いていることが大きいという。

 

食にはもてなしの心が映る。初代総料理長サリー・ワイルは体調を崩した宿泊客が食べやすいよう、ごはんにグラタンソースをかけて焼き上げた「ドリア」をつくりだした。進駐軍による接収を経て米国流をヒントに「スパゲティナポリタン」や「プリン・ア・ラ・モード」も発案され、ここから各地に広がったという。

 

目前に広がる山下公園は、関東大震災のがれきを埋め立てて開かれた。そしてホテルのシンボルマークとしてフェニックス(不死鳥)が随所に描かれている。

 

日が暮れると、ネオンサインが輝く。

 

HOTEL NEW GRAND

 

がっしりと、くっきりとしたアルファベットから、昭和初期に始まり平成、令和の今を貫く不屈の精神が伝わってくる。(木元健二、写真も)

 

 DATA

  設計者:渡辺仁
  階数:地上5階
  用途:ホテル、宴会場
  完成:1927年

 《最寄り駅》:元町・中華街


建モノがたり

徒歩ですぐの横浜マリンタワー(☎045・664・1100)は、開港100周年を記念して1961年に開業した。高さ106メートル。29、30階の展望フロアから富士山が見えることも。6~8月以外の平日午前10時~午後6時は高校生以上1千円、午後6時~10時1200円。

 

2025年11月4日、朝日新聞夕刊から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください。

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